南のほうからの期待と不安
夏がやってきましたよ。どこから?南のほうからでしょうか。
夏の申し子だった。いつも夏を独り占めしたいと思っていた。夏になると胸が弾み、心が躍った。
数年前までは『夏休み』と言う響きがそう遠くない過去の出来事だったような気がして電車の中の学生が減ることで夏休みがやってきたことを実感し会社に向かう電車の中で胸を弾ませ、心を躍らせた。
来た。『夏休み』が。
社会人である僕達にとっての夏休みと言えば学生の頃のそれと比べてささやかなもので盆の間の3~4日の休みがあるだけなのだが、それでも夏が来るのと同時に熱風とも言える新しい風が淡白な日常の中に吹き荒れ、今にも何か楽しいことが始まりだすような予感がした。
ところ構わず吠え続ける蝉。ほんの数歩、外に出るだけで噴出す汗。深夜のニュースで勝敗を伝える甲子園の試合結果。軽装になっていく街を歩く人達の服装。プール道具を肩に掛ける子供達。サザンやTUBE。
そんな光景を見て感じて本格的に夏がやってきたのを感じたものだ。
僕の仲間内でも夏になるとイベントがある。それは中学2年生の頃から毎年盆休みになると開催するキャンプだ。中学生の頃はそれこそ電車に乗ってテントやキャンプ道具をみんなで担いで目的地に向かった。僕らの住む町からそう遠くない川で毎年キャンプを行っていた。
何の変哲もない川で過ごす1泊なのだが、毎年1回の非日常にワクワクし、前準備の段階から気合も十分に望み、その日を去年よりも素敵なものにするための努力を惜しまずやった。その甲斐あって前の年よりも楽しい非日常を過ごすことができた。毎年、最高の日を塗り替えていた。
何度目の夏からだろう。気合十分に全精力を注ぐ準備の段階からどこかしら寂しさを感じていた。それは僕らが1年間待ち望んだ非日常の1日を過ごした次の日のことを考えるようになったからだ。
どんなことに臨むにしても準備は必要だ。いつからか本番に臨むための準備が、本番が終わった後の準備をも含むようになってしまっていたのかも知れない。
決して悪いことではない。何かしらの事柄を行うための準備としては終わった後のことまでもを考えて行動してこそ万全の準備が出来たと言えよう。
僕は万全の準備をすることを望んだ代わりに、期待と不安を包括した非日常を純粋に楽しむことを諦めたのだ。平たく言うと”大人になった”と言うことになるのかも知れない。
いつからか夏に胸が弾むこともなくなり、心も躍らなくなったように感じる。いや。正確に言うなら胸を弾ませ、心を躍らせた後にやってくる寂しさを紛らわせるために弾まず、踊らずで気持ちを抑止し"大人"と言う囲いの中に落ち着き、そしてそこにある淡白な日常に身を隠したように思う。僕よりも一足先に”大人になった”仲間達は数年前からキャンプに参加しなくなった。おそらく僕と同じことを感じたからではないだろうか。
今年は僕もキャンプに参加しないだろう。
そんな僕のもとにも南のほうから吹き荒れる熱風がやってきた。
僕は期待と不安を包括した日常を純粋に楽しむことを諦めてしまったのかも知れないが、胸を弾ませ、心を躍らせることを諦めてはいない。
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